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安心できる場所

息子たちとドラマ観たり一緒に過ごす時間がとっても尊い時間だなぁ幸せだなぁといつもよりしみじみ思う週末でした。毎週楽しみにしているMIU404の先日の回も、ニュースも映画もなんとも心臓が痛い。


心の健やかさのお手伝いを生業とする一人としてなんとも言えない苦しさを感じています。

悩みがあって相談しよう、話そうって思えるうちはまだ元気の兆しがあるけれど誰にも分かってもらえないとか話す気にもならないってなってしまう事や時が深刻です。

だからこそ日頃からこの人なら少し話してみたいな…と感じて頂けるようなヒトでありたいし仕事の仕方をしたいなと思っています。


そんな私にいま出来ること、は息子たちや家族や大切なヒトの何気ない話でも真面目に聞いてちゃんと覚えておくこと。
いざという時にはその"いざ"のカケラを拾ってきたり、どこにいつ落ちていたかを思い出せる存在でありたいと思います。
話してみてホッとした。って思えるような、実は悩んでたことも自分で乗り越えて来たんだよって背中を押したり穴から出てくるために手を引っ張れるような。
そして私自身がしっかり毎日を、ひとつひとつの出来事や場面をより大切に大事に生きていようと。

人生を諦めそうなとき、もう何でもいいや、って思ってしまう時に、そんな小さな事でも楽しいんだなって一緒に過ごしてくれる人もポッと灯りが灯せるように。
誰かにそう思って欲しいと思うのは私のエゴでしかないけれど、少なくとも私自身は関わりを持って下さる方との時間や出来事を楽しみと自分の懐の温かさに替えて貯めていきたい。

何かあってからではなくて、もちろんその前の備えは大事だけど、何かあったらココへ行ってみようって場所を見つけておくことも大事。そして身体の養生も大事やけど、同じくらい気持ちも大事。
何かあったら安心して駆け込める場所になりたいから、まだまだまだまだ頑張ろうと心に誓った週末でありました。

そして安心できる場所とは?を考えていた時に2年前に祖母が亡くなった時のSNSの投稿が出てきました。
先日無事3回忌法要が終わったのですが
祖母が亡くなった時には今のサロンのことは全く頭になかったことを思うと、
本当にこの2年間のご縁に感謝するばかりです。

祖母の前では子どもでいられたのが心地よかったんだな、と2年前の投稿を読んでしみじみ。 

祖母が私にとって安心できる場所だったのだと思います。

地元の神楽には養生デザインとして戻ったけれど
ここは私がまだまだ"ゆうかちゃん"と呼んでもらえて『祖母の孫』としていられるのがとっても心地良いです。

どこかでふっと緊張の糸を解せるところ。
大人としても扱ってもらえるけど でも孫でいられる場所です。

養生デザインも皆様にとってそんな場所になりたいと思っています。


以下、2年前のSNS投稿より。
ブログ向けに書いていないので、読み苦しいところもあるかも知れませんが当時の私の思いをそのまま綴っております。
養生や死生観について私の目指すところなんかも。

そんなことを思う令和2年、夏の土用入り。
様々な思いがありますがこの期間にさらに脱皮して、秋をスッキリ迎えたいと思っています。

***

祖母が旅立ちました。
きっと明日のほどほども近くで笑顔で見守っているでもなく、ふらふら〜っと行ったり来たり。聞いてる風でもなく聴いてくれているんだろうなぁ。

この重なるスケジュールの中本当に応援してくれてるんだなぁと最後まで感謝しかない。です。
祖母の葬儀のあれこれは同級生で、実家の向かいに住んでいた幼馴染が担当して最後まで見送ってくれました。
最後のお化粧も「私がやればいいよ」と任せてもらえて。
シワのないおばあちゃんの顔はそれはそれは綺麗で。
頬紅をさしたら本当にすぐに起きて来そうで。
でもカラダが動かないってそういうことなんだなぁを当たり前だけど改めて感じた瞬間でした。

おばあちゃんの顔をふっくらと、丁寧に仕上げてくれるそのおしごとにただただ感謝。そして彼の存在感や安心感が本当に心づよかった。

さいごに祖母の柩と一緒に実家のまわり、気比神宮、祖母の思い出の場所と祖母との思い出を話しながら火葬場までの運転まで。
ほんまに かけがえのない 寂しいけれどなんとも言いようのない最高の最後のひとときを過ごすことができました。

祖母 は認知症がひどくなり施設にお世話になっていましたが最後まで ニコニコと笑っていたそうで。大人しく機嫌よくだいたい笑顔で過ごしていたそうです。

祖母のそんな話を聞くたびに私も最後まで笑っていられる生き方をしたいと強く思います。本当に最後はそれだけで良いとすら。

祖母とわたし。
・・・私は両親が共働きでずっと父方の実家のその祖父母に見てもらっていました。祖母のあっけらかんとして自由な性格はとても居心地が良くて。

就職で敦賀に帰ってきてからは祖母のところに転がりこみ2人暮らしさせてもらって。
喧嘩もよくしたけれど後腐れなく、お互いに言いたいことを言いたいときに言い、付かず離れず。でもお酒も一緒に飲んだりして、私のテキトーで大雑把でめんどくさがりな性格とうまく共存してくれたありがたい存在でした。

おもえば、この本が気にな、これがやりたい、あれが見てみたいと話した次の日にはその本を予約してくれていたり、すぐに問い合わせてくれたり。
祖母は何もいわず、応援してくれるという押し付けがましさもなく。
自分がやりたいから やってるのよ〜な雰囲気で飄々と応援してくれていた存在でした。

ずっと大きな病気もせず、そんなはずはないのにまだまだ居てくれる感覚でいましたがひと月前からご飯が食べられなくなり、少しずつ老衰に向かっていると聴き。だんだん祖母の臓器一つ一つが役割を終えていくのだなぁとなんとなく感じていました。
ごはんは食べられる日があっても呼吸が苦しそうだったり…亡くなったあとは もうすでに仏様のような穏やかな顔で、あぁ良かったなぁ…と 思いました。
そしていろんなことが頭をよぎりました。
たくさんの祖母との思い出は今の私をつくってくれて、支えてくれています。
祖母の身の回りの介護に携わってくださった方に本当に感謝。

そして私は祖母の孫でいられてほんまに幸せだったなぁと思います。

やっぱり感じたことは私は神楽の空気が好き。だということ。
どこにいてもまるごとで実家に帰った気持ちになる。自分の実家がどこに引っ越してもやっぱり帰りたいのは神楽だなぁと思いました。
95歳、大往生ですよね。とっても寂しいけれど私も95歳まで 笑顔で今が一番幸せだと ずっと思い続けられるような生き方をしていこう。と心に誓いました。おばあちゃん、また逢う日まで。たくさんたくさん ありがとう。